INTERVIEW

ビジネスコンサルティング

企業コンサルタント | 沼田 功様


道玄坂上にオフィスを構え20年。
金融のプロとして活躍の場は、日本から中国、
そして世界へと拡がり続ける。

「伝説の株式公開請負人」と呼ばれるまで

―渋谷にオフィスを持ったきっかけとご経歴を教えてください。

(沼田)
渋谷とのご縁は、新卒で大和証券に入社後、渋谷支店に配属されたことから始まりました。証券営業マンとして、小さな会社のオーナーとのお付き合いが多く、この時知り合ったお客様とは今でも良好な関係が続いています。公開引受部時代は、ビットバレー全盛期だったこともあり、楽天、サイバーエージェントなど、数々のIT企業の上場に携わることになりました。その経験を生かして、独立後に株式公開コンサルタント会社を設立。起業支援や育成に長年従事した結果、日経新聞で「伝説の株式公開請負人」なんて紹介されたこともあります。オフィスを渋谷に開いたのは、会社員時代につながったご縁で、このビルが建った際に「買ってくれない?」と言われたからです。昔から先進的でおもしろく、好きな街だったこともあります。

日本から見ていた中国と、現地で見た等身大の中国とのギャップにチャンスを感じた

―弊社代表取締役、曽根との出会いも渋谷だったと聞きました。IPO支援のプロだった沼田さんがなぜ中国で ビジネスをやることになったのですか?

(沼田)
曽根さんと出会ったのは、リーマンショックが起こる直前、2008年の夏頃でした。共通の知人からの紹介で、渋谷のエクセルホテル東急で会ったのが最初でしたね。曽根さんは、渋谷で50年続く不動産会社の2代目社長として活躍する傍ら、中国で発電事業の会社を設立し、中国に強いネットワークを持っておられるということでした。それで、出会ってわりとすぐに、中国に行きませんか?と誘われたんです。ちょうど日本でのIPO支援事業が転換期を迎え、それまでやっていた会社を一度畳もうかというタイミングでした。2009年から月1くらいの割合で中国に行くようになったのですが、日本国内の報道と実際に現地に行って知った中国の内情が全く違っていて、とても驚きました。同時に、これはすごいチャンスだと思いました。その後、曽根さんと一緒に中国を基盤とした会社を設立して、日本企業が中国企業を買収したいというお手伝いや、中国の企業が日本の技術にお金を出したいと言った際のコンサルティングなど、日本企業と中国企業とのマッチングをメインとした活動をしてきました。また、日本では東広ハウジングの企業成長をサポートするコンサルティングもさせていただいています。今後は、曽根さんとともに、また新たな地で新たなビジネスを始める予定もあります。

多国籍な街・渋谷から新しい風を

―これからの渋谷に期待すること、今後の可能性についてお聞かせください。

(沼田)
大和証券時代から渋谷といえば109をはじめとしたアパレル、IT、不動産業が盛んでした。そこに金融がくっつくことで、新しいものが生み出されてきました。そして今、コロナ禍を経て、海外から多くの人が渋谷に集まっている印象があります。漠然とですが、海外×渋谷というビジネスは、今後おもしろいかもしれないと感じます。渋谷区は行政が起業支援や、外国人の起業促進に積極的ですよね。流行や技術の最先端を行く、未来の日本のフロントランナーになれる街なのではないかと思います。

(曽根)
渋谷って街自体が一つのブランドだと思うんです。外国の方には、東京=渋谷というイメージが根付いてきていますよね。弊社は、今年で創立50周年を迎えるのですが、その間、不動産事業を通じてずっと渋谷と関わってきました。渋谷が今後、ニューヨークや上海のように、世界の人たちのリーディングシティになっていけたら良いと思っています。自社でも、渋谷の街を少しずつ変えて行けるよう、企業としてさらに成長していかなければならないと考えています。そのためにも、幅広い人脈を持ち、コンサルタントとしても頼りになる沼田さんの力をお借りしているところです。

企業コンサルタント 沼田 功

  • 日本証券アナリスト協会検定会員
  • 復旦大学日本研究センター客員研究員
  • 上場会社シニアアドバイザー、未公開会社の社外取締役

大和証券株式会社公開引受部勤務時代より楽天・サイバーエージェントなど、数々の有力企業の上場に尽力、これまでに70社強の株式公開を実現。上場会社生涯100社構想を掲げて、現在もスタートアップ企業の発掘・育成・投資に邁進している。株式公開と中国市場を専門領域とする金融のプロフェッショナル。

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